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藤原道長(平安貴族の権力者)の出世街道
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藤原道長は、後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父です
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父藤原兼家が摂政になり権力を握ると栄達する
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藤原兼家の五男で生まれ、藤原道長は、兄道隆、道兼がいたためさほど目立たない存在だった
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父藤原兼家の死後、兄道隆が大酒、道兼が伝染病により相次いで病没
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兄藤原道隆の嫡男伊周との政争に勝って左大臣として政権を掌握した
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BS・TBS『高島礼子・日本の古都』番組参考&引用
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藤原道長(『高島礼子・日本の古都』番組のテレビ画面他引用)
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藤原道長金銅経文筒
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一部緑青が吹いているが、千年経った今でも光輝く筒
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筒にはその名の通り経典が収められている
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精神的支柱であった仏の教えが滅びる時代の到来である
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胸一杯に黒雲が立ちこめる中、道長は未来仏に一条の希望を見出した
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弥勒菩薩、56億年の後の救済を願って、末法後の、魂の救済を願って
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藤原道長の父藤原兼家と祖父藤原師輔との結びつき
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藤原道長は、藤原兼家の五男として京都に生まれる
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同母の兄姉に道隆・道兼・超子(三条天皇母)・詮子(一条天皇母)らがいる
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藤原道長の祖父師輔は、村上天皇の治世を右大臣として支えた実力者
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師輔の家系の九条流は、本来嫡流であるはずの兄の実頼の家系(小野宮流)よりも優位に立つ
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摂政・太政大臣だった実頼が死去すると、師輔の長男の藤原伊尹が摂政となるが急死する
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後継を、祖父藤原師輔次男の兼通と三男の兼家が争うが、兼通に関白になる
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祖父の兼家は、息子たちを昇進させ、道長も従三位に就任
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道長は左大臣・源雅信の娘・倫子と結婚し長女彰子他5女が誕生している
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藤原道長、朝廷との姻戚関係構築
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一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后とする(長女の彰子の教育係は、紫式部)
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三条天皇には、次女を嫁がせ中宮とする
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三条天皇と道長は、対立し天皇を退位に追い込み、長女彰子の生んだ子を、後一条天皇とする
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後一条天皇には、四女の威子を入れて中宮とする
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末子の嬉子を、後の後朱雀天皇となる敦良親王に入侍させた
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藤原道長の晩年
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道長は摂政と氏長者を嫡男の頼通に譲り、後継体制を固めた(剃髪して出家する)
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その後も摂政となった若い頼通を後見して指図している
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後一条天皇に、道長は三女の威子を女御として入内させ中宮とした
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法成寺の建立に精力を傾け、地方の有力者は、権門の道長のために争ってこの造営事業に奉仕した
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京都吉田神社と春日大社
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春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために創設された奈良市にある神社
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吉田神社は、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる
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平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった
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吉田家は、全国の神社の神職の任免権などが与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた
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藤原道長人物・逸話
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政治家としては、過差(贅沢)の禁止による社会秩序の引締や估価法の整備などの物価対策などにも取り組んだ
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50歳を過ぎたあたりから急激に痩せ細り、視力も衰え糖尿病が発症したと思われる
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仏教に対して信仰心が厚く、最期は法成寺で大勢の僧侶に囲まれ極楽浄土を祈願する儀式の中で臨終