$ 0 0 徳川家康「謎の15年」 織田信長や豊臣秀吉にはできなかった「平和国家の建設」を成し遂げた偉大な人物です 「平和国家の建設」が、徳川慶喜の目的だったのでは 『厭離穢土欣求浄土(おんりえど、えんりえど)』 作家の安部氏が現場で、貴重なトークを展開しています BS・TBS『高島礼子・日本の古都』番組参考&引用 徳川家康(『高島礼子・日本の古都』番組のテレビ画面他引用) 家康はどのように天下泰平の国づくりを成し遂げたのか 秘密は「謎の15年」(関ヶ原の戦いから大阪夏の陣)に隠されていた! 大坂夏の陣で豊臣家が滅亡するまでの15年 「平和国家の建設」の為、家康は15年間に何を行ったのか? 小説「家康」の作家安部氏が語る 15年間の謎を解くカギ、それは京都での数々行った戦略でした 「この国を浄土に変えよう」と家康像を打ち出す作家の安部氏 厭離穢土欣求浄土(おんりえど、えんりえど) 徳川家康が馬印に用いた言葉です 徳川家康が、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れた 前途を悲観した家康が、自害を試みるが、菩提寺の住職が「厭離穢土欣求浄土」と説き切腹を思いとどまらせた 戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す