ミッドウェー海戦(日本軍何故ミッドウェー海戦実施した背景)
第二次世界大戦中、1942年6月5日ミッドウェー島をめぐって行われた海戦です
ミッドウェー島の攻略をめざす日本海軍を、アメリカ海軍が迎え撃つ形で発生した
日本海軍は、機動部隊の航空母艦4隻と艦載機を喪失する大損害を被り、戦争における主導権を失った
『永遠の0(ゼロ)』百田尚樹著読み、興味を感じて書きました
ミッドウエイ海戦(ネットより引用)
ハワイ攻略作戦の着想
大東亜戦争開戦前、日本海軍は対米作戦における基本的な方針として守勢の邀撃作戦を採っていた
連合艦隊司令山本長官はこの方針に疑問を持ち、独自の対米作戦構想として積極的な攻勢作戦を考えていた
山本長官は、対米作戦はハワイを攻略するような積極作戦を採るべきであると述べている
早期に敵の弱点を叩くことで、相手国の戦意を喪失させる方法しか日本の勝機を見出しえないとの見解
ミッドウェー作戦の発端
アメリカ海軍は、日本の真珠湾攻撃で、太平洋艦隊主力の戦艦部隊が行動不能となった
日本軍は、マーシャル諸島、ウェーク島で警戒処置をとっていたが、哨戒は不十分であった
連合艦隊の受け身の作戦は、勝利に結びつかないとの意見が多数有った
ハワイ攻略作戦の前段階として、ミッドウェー島の攻略作戦を検討
ミッドウェー作戦
ミッドウェー島を攻略し、空母機動部隊を誘い出して捕捉撃滅することに主眼が置かれた
日本軍が、ミッドウェー島を占領した場合、アメリカ軍はこれを全力で奪回しようとすることは明白である
日本軍は、ミッドウェー攻撃を行った場合に出現するアメリカ軍規模(空母3隻、特設空母3隻他)と推定
日本軍が、ミッドウェー島の戦力(海兵隊3千名、航空機150機)を知るのは、空母部隊が全滅した後でした
この作戦は、米空母を誘い出して撃滅することを目的としてました
10月のハワイ攻略作戦までミッドウェー島を確保できると考えていた
ミッドウェー島上陸日(6月7日と計画)
7月は霧が多く上陸が困難なため、6月7日にした
上陸作戦の制空と防備破壊は、空母6隻で奇襲することで可能と考えた
連合艦隊は、奇襲の成功を前提にしており、アメリカが日本の企図を察知する事を考慮しなかった
米機動部隊は真珠湾にあって、ミッドウェー基地攻撃後に現れることを前提に作戦を計画した
第一航空艦隊(南雲機動部隊)は問題を抱えていた
開戦後、長期休暇もなく太平洋を奔走したため、艦・人員とも疲労がたまっていた
人事異動のため、艦艇と航空部隊双方の技量が低下していた
ミッドウェー基地攻略の副目的を敵機動部隊撃破と誤解していた
ミッドウェー作戦「連合艦隊第一段階作戦戦訓研究会」立ち上げ
「第二段作戦図上演習」では、日本軍にとって不安な結果が出た[
ミッドウェー攻略作戦の最中に、米空母部隊出現し、日本の空母に大被害が出て、攻略作戦続行が難しい状況となる
審判をやり直して、被害を減らして空母を三隻残して続行した[
最後の図上演習が行われたが、成功が前提で奇襲失敗や米機動部隊の出撃は全く考慮されていなかった
ミッドウェー作戦事前準備
作戦は、時期尚早と反対もあったが、連合艦隊司令部は決定済みとして取り合わなかった
機動部隊は、部品の用意が間に合わないという理由でミッドウェー作戦の延期を一日だけ認められただけだった
連合艦隊司令部、軍令部、南雲機動部隊のいずれも自信に満ち溢れていた
5月5日、軍令部総長より山本長官に対し大海令第18号が発令された
☆連合艦隊司令長官は、陸軍と協力し「AF」(ミッドウェー)及「AO」(アリューシャン)攻略すべし
大海令第18号より
山本長官他指揮下で、艦艇約350隻、航空機約1千機、総兵力10万人からなる大艦隊が編成された
戦艦大和他の戦艦部隊が呉の柱島を出撃、大和が参加する初めての作戦でした
空母数、日本軍4隻対米軍3隻(エンタープライズ、ホーネット、ワスプ)で、アメリカ軍より優勢であった
ミッドウェー基地の航空機を計算にいれると、航空戦力比は日本軍約320機、アメリカ軍機動部隊約350機でほぼ互角
アメリカの歴史学者は、アリューシャン方面に空母龍驤、隼鷹を投入したことが、山本長官の失策だったと指摘
第二次世界大戦中、1942年6月5日ミッドウェー島をめぐって行われた海戦です
ミッドウェー島の攻略をめざす日本海軍を、アメリカ海軍が迎え撃つ形で発生した
日本海軍は、機動部隊の航空母艦4隻と艦載機を喪失する大損害を被り、戦争における主導権を失った
『永遠の0(ゼロ)』百田尚樹著読み、興味を感じて書きました
ミッドウエイ海戦(ネットより引用)
ハワイ攻略作戦の着想
大東亜戦争開戦前、日本海軍は対米作戦における基本的な方針として守勢の邀撃作戦を採っていた
連合艦隊司令山本長官はこの方針に疑問を持ち、独自の対米作戦構想として積極的な攻勢作戦を考えていた
山本長官は、対米作戦はハワイを攻略するような積極作戦を採るべきであると述べている
早期に敵の弱点を叩くことで、相手国の戦意を喪失させる方法しか日本の勝機を見出しえないとの見解
ミッドウェー作戦の発端
アメリカ海軍は、日本の真珠湾攻撃で、太平洋艦隊主力の戦艦部隊が行動不能となった
日本軍は、マーシャル諸島、ウェーク島で警戒処置をとっていたが、哨戒は不十分であった
連合艦隊の受け身の作戦は、勝利に結びつかないとの意見が多数有った
ハワイ攻略作戦の前段階として、ミッドウェー島の攻略作戦を検討
ミッドウェー作戦
ミッドウェー島を攻略し、空母機動部隊を誘い出して捕捉撃滅することに主眼が置かれた
日本軍が、ミッドウェー島を占領した場合、アメリカ軍はこれを全力で奪回しようとすることは明白である
日本軍は、ミッドウェー攻撃を行った場合に出現するアメリカ軍規模(空母3隻、特設空母3隻他)と推定
日本軍が、ミッドウェー島の戦力(海兵隊3千名、航空機150機)を知るのは、空母部隊が全滅した後でした
この作戦は、米空母を誘い出して撃滅することを目的としてました
10月のハワイ攻略作戦までミッドウェー島を確保できると考えていた
ミッドウェー島上陸日(6月7日と計画)
7月は霧が多く上陸が困難なため、6月7日にした
上陸作戦の制空と防備破壊は、空母6隻で奇襲することで可能と考えた
連合艦隊は、奇襲の成功を前提にしており、アメリカが日本の企図を察知する事を考慮しなかった
米機動部隊は真珠湾にあって、ミッドウェー基地攻撃後に現れることを前提に作戦を計画した
第一航空艦隊(南雲機動部隊)は問題を抱えていた
開戦後、長期休暇もなく太平洋を奔走したため、艦・人員とも疲労がたまっていた
人事異動のため、艦艇と航空部隊双方の技量が低下していた
ミッドウェー基地攻略の副目的を敵機動部隊撃破と誤解していた
ミッドウェー作戦「連合艦隊第一段階作戦戦訓研究会」立ち上げ
「第二段作戦図上演習」では、日本軍にとって不安な結果が出た[
ミッドウェー攻略作戦の最中に、米空母部隊出現し、日本の空母に大被害が出て、攻略作戦続行が難しい状況となる
審判をやり直して、被害を減らして空母を三隻残して続行した[
最後の図上演習が行われたが、成功が前提で奇襲失敗や米機動部隊の出撃は全く考慮されていなかった
ミッドウェー作戦事前準備
作戦は、時期尚早と反対もあったが、連合艦隊司令部は決定済みとして取り合わなかった
機動部隊は、部品の用意が間に合わないという理由でミッドウェー作戦の延期を一日だけ認められただけだった
連合艦隊司令部、軍令部、南雲機動部隊のいずれも自信に満ち溢れていた
5月5日、軍令部総長より山本長官に対し大海令第18号が発令された
☆連合艦隊司令長官は、陸軍と協力し「AF」(ミッドウェー)及「AO」(アリューシャン)攻略すべし
大海令第18号より
山本長官他指揮下で、艦艇約350隻、航空機約1千機、総兵力10万人からなる大艦隊が編成された
戦艦大和他の戦艦部隊が呉の柱島を出撃、大和が参加する初めての作戦でした
空母数、日本軍4隻対米軍3隻(エンタープライズ、ホーネット、ワスプ)で、アメリカ軍より優勢であった
ミッドウェー基地の航空機を計算にいれると、航空戦力比は日本軍約320機、アメリカ軍機動部隊約350機でほぼ互角
アメリカの歴史学者は、アリューシャン方面に空母龍驤、隼鷹を投入したことが、山本長官の失策だったと指摘