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二宮尊徳(金次郎)(江戸時代後期の農業学者&思想家)
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明治政府創立以後、薪を背負い読書する『金次郎』像が多く建てられた、
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薪を背負いながら本を読んで歩く姿は、1881年の『報徳記』が初出です
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肖像画のルーツは中国の「朱買臣図」にあり、狩野派末裔の永興もこれを参考にした
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NHK『知恵泉』を参考&引用
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二宮尊徳像(ネットより引用)
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「金治郎像」建立の目的
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自主的に国家に献身・奉公する国民の育成するのを目的としました
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政治利用は、山縣有朋を中心に行われ、特に平田東助らによる指導が大きかった
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国家の政策論理に同調する、石材業者らの営業活動で広まった
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二宮尊徳(家を再興させる迄)
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栃木県百姓・利右衛門の長男(金次郎)として生まれる
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子供の頃、わらじを編んで金を稼ぎ、病弱の父を助けた
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油代必要なので、荒地に菜種をまいて、菜種油と交換し勉学を続けた
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父・利右衛門が死去、母も亡くなり、尊徳は伯父の家に身を寄せた
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尊徳は、荒地を復興させ、収入の増加し20歳で生家を再興した
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生家の再興に成功すると、尊徳は地主経営を行いながら自身は小田原に出る
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二宮尊徳(小田原武家奉公人時代)
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奉公先の小田原藩家老・服部家で、服部家の財政建て直しを頼まれる
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成功し、小田原藩内で名前が知られるようになる
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栃木県、真岡市等の経営も行い成果を上げる
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倹約を奨励し、かまど番から余った薪を金を払って買い戻す施策も実行
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方法は報徳仕法として他の範となる
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二宮尊徳(桜町時代の活躍)
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開墾した田畑は、租税負担が軽くなることに注目し、開墾を奨励
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村人の仕事ぶりを見て回り、褒章制度導入で村人にやる気を喚起させた
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村人らに反感を持たれた時、突然行方不明になり、村人達は尊徳の重要性を再認識