Quantcast
Channel: 慶喜
Viewing all articles
Browse latest Browse all 13377

防災の日(伊奈忠次)

$
0
0
伊奈忠次(江戸時代初期にかけての武将、大名)

利根川の流れを変えて、関東平野を住める場所にして、江戸の町を水害から守る
領(川沿いの村のネットワーク)中条堤等を造成し、災害対策・新田開発に貢献した
晩年水戸千波湖の治水を行い、水戸伊奈町にその名を残す
NHK「知恵泉」より








伊奈忠次(ネットより引用)

伊奈忠次生涯
父・忠家が、三河一向一揆に加わるなどして徳川家康の元を出奔
長篠の戦いに陣借りをして従軍して功を立て帰参
徳川信康の家臣として活躍したが、信康の自刃により、再び出奔し堺に在した
本能寺の変が勃発し、堺を遊覧中の家康を本国へと脱出さた功により再び帰参
父・忠家の旧領・小島を与えられる

伊奈忠次代官衆の筆頭
文禄・慶長の役では、大軍を動かすための兵粮の輸送、街路整備などを一手に担い代官としての地位を固めた
家康が江戸に移封された後は、関東代官頭として家康の関東支配に貢献した
1610年61歳で死去

伊奈忠次功績
関東を中心に各地で検地、新田開発、河川改修を行った
利根川や荒川の付け替え普請は、江戸幕府の財政基盤の確立に寄与しその業績は計り知れない
関東各地に残る備前渠や備前堤と呼ばれる運河や堤防は、忠次の官位「備前守」に由来している
諸国からの水運を計り、江戸の繁栄をもたらした忠次は、農民たちからも神仏のように敬われていた
伊奈忠次の功績により、茨城県筑波郡伊奈町の町名の由来ともなっている

Viewing all articles
Browse latest Browse all 13377

Trending Articles