太平洋戦争中、徹底抗戦を貫く陸軍にいながら、早期終戦を訴え続けた陸軍大佐松谷誠
“弱気の勇気”とは? 組織や社会と、自分の信念の葛藤をめぐる終戦秘話
現代社会での、内部告発も有る面では同様と思いますが、中々出来ないことですね
NHK戦後70年 プレミアムヒストリーより
NHK戦後70年(ネットより引用)
松谷誠(大日本帝国陸軍大佐)
主戦派の陸軍で、陸軍参謀本部戦争指導課課長となり、早期終戦を模索
鈴木貫太郎首相の秘書官として「終戦処理案」をまとめ、ソ連の和平仲介による早期講和を主張した
米の民主主義化よりも、ソ連の人民政府組織の方が日本にとりプラスと主張
天皇制は維持できるとの見方を示し、ソ連流の共産主義国家を目指すべきだと
戦後は陸上自衛隊で要職を歴任
保安大学校幹事、保安研修所副所長、第4管区総監
西部方面・北部方面隊総監、陸上幕僚監部付、1960年退職
95歳で死亡
“弱気の勇気”とは? 組織や社会と、自分の信念の葛藤をめぐる終戦秘話
現代社会での、内部告発も有る面では同様と思いますが、中々出来ないことですね
NHK戦後70年 プレミアムヒストリーより
NHK戦後70年(ネットより引用)
松谷誠(大日本帝国陸軍大佐)
主戦派の陸軍で、陸軍参謀本部戦争指導課課長となり、早期終戦を模索
鈴木貫太郎首相の秘書官として「終戦処理案」をまとめ、ソ連の和平仲介による早期講和を主張した
米の民主主義化よりも、ソ連の人民政府組織の方が日本にとりプラスと主張
天皇制は維持できるとの見方を示し、ソ連流の共産主義国家を目指すべきだと
戦後は陸上自衛隊で要職を歴任
保安大学校幹事、保安研修所副所長、第4管区総監
西部方面・北部方面隊総監、陸上幕僚監部付、1960年退職
95歳で死亡