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大村益次郎⇒幕末期の長州藩の医師、兵学者
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長州征討、又戊辰戦争では長州藩兵を指揮し勝利の立役者となった
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軍務を統括し日本陸軍の創始者です(日本軍隊の立役者)
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NHK『先人たちの知恵』より
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大村益次郎(ネットより引用)
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楠木正成(ネットより引用)
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幼少期時代
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シーボルトの弟子の梅田幽斎に医学や蘭学を学ぶ
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大坂に出て、緒方洪庵の適塾で学び、適塾の塾頭まで進む
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江戸出府時代
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宇和島藩一級の蘭学者として藩主に推挙される
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江戸で私塾「鳩居堂」を開塾して蘭学・兵学・医学を教える
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幕府から委託されて英語、数学を教えていたヘボンのもとで学ぶ
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福澤諭吉、大鳥圭介ら蘭学者・洋学者や旧友とも付き合いがあった
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長州征討
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長州藩では、風貌から「火吹き達磨」のあだ名を付けられた
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征討終了後、海軍用掛を兼務する
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大村は農民、町人階級から組織される市民軍の組織体系確立が急務であり農商階級の兵士を再編した
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戊辰戦争
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討幕と王政復古を目指し、薩摩藩側から長州藩に働きかけが行われた
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藩内では討幕か否かに分立したが、大村は禁門の変や下関戦争の失敗から躊躇
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江戸城明け渡しとなるも、旧幕府方の残党が東日本各地に勢力を張り反抗を続ける
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彰義隊約3000人を、西郷らは抑えきれず、江戸中心部は半ば無法地帯と化していた
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大村は討伐軍を指揮し1日でこれを鎮圧する
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函館五稜郭で、旧幕残党軍も降伏し、戊辰戦争は終結新しい明治時代が開かれた
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大村益次郎軍制建設
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戊辰戦争での功績により、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通と並び、新政府の幹部となった
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諸藩の廃止、廃刀令の実施、徴兵令の制定等後に実施される日本軍建設の青写真を描いてい
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兵部省の兵学寮を設け、フランス人教官を招いてフランス軍をモデルとする新しい軍を建設を始めた
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京都宇治に火薬製造所を、また大阪に造兵廠を建設を働きかけた
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兵制を中心とした急進的な変革に対する強い反感より、凶徒に襲われる
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傷により敗血症による高熱を発して死去、享年46歳
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大村死去
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孫の大村寛人は、益次郎の功により子爵を授爵、華族に列せられた
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大村の「農兵論」は、実行に移されるも同年内に廃棄される
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兵部省の山縣有朋が、国民皆兵を謳った徴兵令が制定する