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本能寺の変から400年

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太田牛一(織田信長、豊臣秀吉・秀頼他に仕えた武将・官僚)

『信長公記』などの軍記・伝記の著者で有名
太田牛一は、著書で『私の書く物に作り話はない』常に結んでいる
NHK『歴史秘話ヒストリー』より














本能寺の変400年(ネットより引用)

太田牛一生涯
名古屋市の土豪の家に生まれ、僧侶をしていた
信長の家臣・柴田勝家に仕え足軽衆となる
信長に近侍する官僚として、京の寺社との間の行政を担当する
84歳で病死する

著作は、太田牛一記録作者としての日記を記載
信長の一代記『信長公記』は、史料性の高さから価値が高いです
長篠の戦いを描いた屏風『長篠合戦屏風』は『信長公記』通りです
信長の虐殺も坦々と事実を描くが批判はしていない

『信長公記』概要
安土桃山時代の戦国大名である織田信長の一代記
信長の幼少時代から、本能寺の変までの15年の記録を1年1巻で16巻にまとめている
事跡を正確に記しているため、史料としての信頼が高い

『信長公記』具体的な記述
『長篠の戦』では、織田軍鉄砲隊の活躍と、織田軍、武田軍の配置を詳細に記載
信長『長篠の戦で死んだ家臣の話を聞き』涙して泣き叫ぶ様子も写実的に記載
本能寺の変で、信長最後の言葉『是非に及ばず(天が下した運命なのでしかたがない)』を記載
安土城城内の襖絵等詳細に記載している
明智光秀の最後の言葉『頸を知恩院に葬ってくれ』も、殺害した農民から聞いて記載している

太田牛一子孫
子孫は、秀吉に仕え、その後加賀藩士として続いた
子孫が立てた墓が大阪府池田市の仏日寺にあります

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