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長澤鼎(江戸時代の薩摩藩士)
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13歳の時藩命でイギリスに留学
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帰国後米国へ渡り「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」「バロン・ナガサワ」と呼ばれる
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NHK先人達の底力「知恵泉」より
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NHK先人達の底力「知恵泉」(ネットより引用)
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長澤鼎生誕からイギリス留学
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生家は代々天文方(暦)で、父親は儒学者です
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13歳のときに森有礼、吉田清成、五代友厚、鮫島尚信、寺島宗則らと共にイギリスに留学する
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留学生はロンドン大学に入ったが、長澤は年齢が入学年齢に達していないために大学には入学出来ず
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貿易商グラバーの実家に世話になるが、藩の財政事情が悪化し薩摩藩英留学生が帰国
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長澤鼎米国留学
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キリスト教系の新興教団の招きで、森ら6名で渡米し信者らと共同生活を送る
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薩摩藩留学生のうち何人かは、思想に違和を感じてすぐ離反したが長澤は残る
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教団で厳しい労働と信仰生活を送りながら、コーネル大学にも通った
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教団の経営のためにワイン醸造を学び、葡萄農園を中心とする農業で財政を支えた
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新聞が反教団キャンペーンを行ったために、教団は解散した
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長澤はワイナリーを教団から買い取り、カリフォルニア州10大ワイナリーに育て上げた
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フランスには、特約店を設け、苗木を輸入するなど、商才にも長けていた
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イギリスに輸出された最初のカリフォルニアワインは、ナガサワ・ワインでした
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長澤鼎の私生活
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生涯独身を貫き、83歳で死に、ワイナリーは甥の伊地知共喜が継ぐ
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莫大な土地財産は、排日土地法等のため相続できず他人の手に渡った
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長澤鼎エピソード
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禁酒法時代、密売を持ちかけた業者の前で樽を割って拒絶した
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島津忠重がサンフランシスコに海軍の士官候補生として寄港したとき、土下座をして歓迎した
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サンタローザ市は長澤の功績を讃え、彼のワイン醸造所と農園跡地に市民公園をつくった
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米国元レーガン大統領も、日本の国会演説で、長澤鼎の業績を称えた