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Channel: 慶喜
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4月一般公開姫路城

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姫路城⇒別名を白鷺城、建築物は国宝や重要文化財

別名の由来は、一つには白漆喰で塗られた城壁の美しさからきています
現在国宝に指定されている城は、松本城、彦根城、犬山城と姫路城の4つのみです
真っ白なお城を視ることができるのは、3年間です(漆喰にカビが生える為)
NHK歴史秘話ヒストリアより












姫路城(ネットより引用)

姫路城の歴史
姫路城は、平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構です
江戸時代以前に建設された天守が残っており、現存建築物の内、8棟が国宝です
姫路城の始まりは、1346年赤松貞範により築城されました
関ヶ原の戦いの後の城主池田輝政によって、大規模な城郭へとさらに拡張されました
江戸時代には、西国の外様大名監視のために西国探題が設置されました

池田輝政と姫路城
家康は池田輝政に過大な禄が与えました(姫路の五十二万石、実質は百万石をほこる西国大名)
徳川家康の指示で、西国を大名を抑えるため、壮大なお城に改築しました
8年がかりで江戸城にも匹敵するほどの現在の天守を作り上げました
資金必要な為、農民に重税を課し、農民から恨みをかいました
結果として池田輝政は、病気に掛かり、池田家全てにその災いが及んだ(『おさかひ(地元の神)』?

本多忠政と姫路城
池田氏の跡を継いだ光政が幼少であり、本多忠政が15万石で入城しました
千姫が本多忠刻に嫁いだのを機に、西の丸が整備されました
藩主は、本多家の後は奥平松平家、越前松平家、榊原家等目まぐるしく入れ替りました
姫路城は、石高15万石の姫路藩にとって重荷で藩の経済を圧迫しました

千姫と姫路城
千姫は7歳で、豊臣秀吉の子、秀頼に嫁ぎます
大阪夏の陣で大阪城は炎上し、家康の計らいで、千姫は助け出されました
桑名城主本多忠政の子・忠刻と運命的な出会いをして、千姫は再婚しました
本多家が姫路城の城主となり、千姫も姫路城の姫となりました
千姫と忠刻との間には一男一女が産まれ、二人はとても幸せな時を過ごしていました
長男の幸千代が3歳で病気で亡くなり、さらに忠刻も病に倒れ、三十一歳という若さで亡くなりました
夫と息子を亡くした千姫は、姫路を離れ、尼となり江戸で七十歳までひっそりと余生を過ごしました

歴代城主と家紋
池田家の家紋は揚羽蝶
10代120年間城主を継いだ酒井家は剣酢漿
徳川四天王の本多家は三つ葉立葵、榊原家は源氏車、松平家が三つ巴

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