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名君徳川斉昭

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徳川幕府最後の将軍の父上、徳川斉昭

徳川斉昭⇒大名(親藩)、水戸藩の第9代藩主
藩政改革に成功した幕末期の名君、将軍継嗣争いで井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となる














名君徳川斉昭(ネットより引用)

徳川斉昭の家督相続
長兄の斉脩は、次代藩主、次兄は高松藩松平家に養子、弟は宍戸藩松平家に養子
三男の斉昭は、30歳まで部屋住みで斉脩の控えとして残された
長男徳川斉脩の遺書により、斉昭が9代藩主となる

徳川斉昭の藩政改革
藩政では藩校・弘道館を設立し下士層から広く人材を登用する
斉昭の改革は、水野忠邦の天保の改革に示唆を与えた
全領検地、藩士の土着、藩校弘道館等創立、江戸定府制等の諸改革実施

徳川斉昭の宗教改革
寺院の釣鐘や仏像を没収、廃寺や道端の地蔵の撤去を行った
仏教抑圧及び神道重視政策を推し進め、人別改など民衆管理の制度を神官の管理へと移行した
仏教抑圧及び神道重視の政策は、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈の先駆けとなりました

徳川斉昭の幕政参与
ペリーの浦賀来航に際して、水戸学の立場から強硬な攘夷論を主張した
江戸防備のために、大砲を鋳造、洋式軍艦「旭日丸」を建造し幕府に献上
開国論と将軍継嗣問題で、井伊直弼らと斉昭は争った
斉昭は敗れ、直弼が大老となって日米修好通商条約を独断で調印し、慶福(家茂)を第14代将軍とした

徳川斉昭の最期
将軍継嗣問題及び条約調印をめぐり、井伊直弼を詰問したため、幕府中枢から排除された
孝明天皇による、戊午の密勅が水戸藩に下されたことで、水戸での永蟄居(安政の大獄)
蟄居処分が解けぬまま水戸で急逝、享年61

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