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2度の暗殺の乗り越えた首相

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鈴木貫太郎(海軍大将、政治家)

二・二六事件において襲撃されるが一命を取り留めました
内閣総理大臣(第42代)に就任し軍の反対を押し切って太平洋戦争を終戦に導いた
「死ということは、最も容易な方法で、なんでもないことだ」(ポツダム宣言受諾で)
NHK『歴史ヒストリア』より
















鈴木貫太郎(ネットより引用)

鈴木貫太郎の海軍時代
日露戦争では、自らの駆逐隊で敵旗艦に魚雷を命中させるなどの大戦果を挙げた
海軍大将となり、連合艦隊司令長官に、翌年海軍軍令部長に就任
会津藩士大沼親誠の娘、大沼とよと結婚(とよは、昭和天皇の乳母)

鈴木貫太郎の侍従長時代
昭和天皇と貞明皇后の希望で、予備役となり侍従長に就任した
宮中では、いざという時の差配や、昭和天皇の話し相手に徹し、昭和天皇より「大侍従長」と呼ばれた
昭和天皇の信任が厚かったが、国家主義者・青年将校たちからは「君側の奸」と見なされ命を狙われた

鈴木貫太郎と二・二六事件
陸軍大尉が指揮する一隊が官邸を襲撃し、鈴木は三発を左脚付根、左胸、左頭部に被弾し倒れ伏した
妻の機転で、「とどめ」は止められた⇒老人ですからとどめは止めてください
出血多量で意識を喪失、心臓も停止したが、直ちに甦生術が施され、奇跡的に息を吹き返した

鈴木貫太郎総理就任
昭和天皇は、鈴木を呼び、組閣を依頼したが、あくまで辞退の言葉を鈴木は繰り返した
昭和天皇一言「この重大なときにあたって、もうほかに人はいない、どうか曲げて承知してもらいたい」と
皇太后節子は、鈴木に対し「どうか陛下の親代わりになって」と語った
満77歳での首相就任は、日本の総理大臣の就任年齢では最高齢の記録です

鈴木貫太郎、内閣の崩壊を防ぐ工作(軍部暴走での内戦発展)
戦局が悪化するなか、貴族院本会議の演説では、徹底抗戦への心構えを演説
演説を聴き、抗戦派の阿南惟幾陸軍大臣は、倒閣運動を抑え、内閣瓦解を防いだ

鈴木貫太郎の終戦工作
御前会議で戦争目的を「皇土保衛」「国体護持」とした「戦争指導大綱」が決定された
皇族、首相の間では、和平より道はもうないと決まっていた

御前会議で「ポツダム宣言を無視する」方向決定
鈴木は、ポツダム宣言に対しては意見を特に言わないとの態度をとった
記者会見で「ポツダム宣言を受諾するのか」という質問に対して鈴木が「ノーコメント」と述べた
ポツダム宣言に対し、日本政府の断固たる態度を見たアメリカは、更に強硬な戦略に変更?

広島への原爆投下、ソ連参戦、長崎への原爆投下での終戦工作
昭和天皇の希望は「軍や国民の混乱を最低限に抑える形で戦争を終らせたい」というものでした
鈴木は「天皇の名の下に起った戦争を終らせるには、天皇本人の聖断を賜るよりほかない」と考えていた
御前会議で、鈴木が起立し「聖慮を以って本会議の決定と致したいと存じます」と述べた
昭和天皇は涙ながらに、「朕の意見は、先ほどから外務大臣の申しているところに同意」と即時受諾案に賛意を示した
国粋主義者達が、総理官邸及び小石川の私邸を襲撃したが、鈴木は警護官に間一髪救い出された
鈴木は、「軍人は政治に関わるべきではない」を信条としていた

鈴木首相退任後
千葉県野田市に帰り、農作業を行い、肝臓ガンで死去、享年81
遺灰の中に二・二六事件の時に受けた弾丸が混ざっていました

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