江戸の文化人榎本武揚
幕臣、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵
6ケ国の言葉を話、国際法、化学、航海術等に優れていました
NHK(智恵泉)より
榎本武揚(ネットより引用)
福沢諭吉、榎本武揚に対して
福沢諭吉『忠臣は2君に仕えるな』と批判的に
榎本武揚『君(徳川幕府・新政府)仕えるのでなく国に仕える』
榎本武揚海軍副総裁就任まで
婿養子として幕臣になる(伊能忠敬の弟子)
昌平坂学問所で、儒学・漢学、ジョン万次郎の私塾で英語を学ぶ
長崎海軍伝習所に入所、国際情勢や西洋の学問や航海術・化学を学ぶ
オランダ留学では、国際法や軍事知識、造船や船舶に関する知識を学んだ
帰国後、幕府海軍軍艦頭並に任命される
榎本武揚と戊辰戦争
戊辰戦争では、幕府艦隊は大阪湾に停泊し薩摩藩海軍に勝利した
鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北し、慶喜が江戸へ引き揚げたので、榎本も江戸へ引き揚げた
江戸へ撤退後、榎本は新政府軍との主戦論を主張し、幕府海軍艦隊を引渡すことを要求され榎本は拒否
榎本は、抗戦派の旧幕臣とともに江戸を脱出し、奥羽・蝦夷を目指し、蝦夷箱館の五稜郭に入城した
榎本は、「蝦夷共和国」を樹立し、選挙の実施により総裁となった
『箱館戦争』で新政府軍との戦いで、戦費の枯渇等で敗戦し、榎本は降伏した
榎本武揚『箱館戦争』降伏
降伏状に添えて、オランダ留学で学んだ『万国海律全書』を蝦夷征討軍海陸軍総参謀黒田了介に送った
黒田は、榎本の非凡な才に感服し、各方面に説諭、熱心な助命嘆願活動により榎本は、一命をとりとめた
榎本武揚閣僚の明治時代
榎本は、才能を買われて新政府に登用され、北海道鉱山検査巡回を命じられた
駐露特命全権公使となり、樺太・千島交換条約を締結した
内閣制度の成立後は能力を買われ、6つの内閣で逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣を歴任
子爵に叙され、大日本帝国憲法発布式では儀典掛長を務めた
享年73歳で死去、墓所は東京都文京区の吉祥寺
幕臣、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵
6ケ国の言葉を話、国際法、化学、航海術等に優れていました
NHK(智恵泉)より
榎本武揚(ネットより引用)
福沢諭吉、榎本武揚に対して
福沢諭吉『忠臣は2君に仕えるな』と批判的に
榎本武揚『君(徳川幕府・新政府)仕えるのでなく国に仕える』
榎本武揚海軍副総裁就任まで
婿養子として幕臣になる(伊能忠敬の弟子)
昌平坂学問所で、儒学・漢学、ジョン万次郎の私塾で英語を学ぶ
長崎海軍伝習所に入所、国際情勢や西洋の学問や航海術・化学を学ぶ
オランダ留学では、国際法や軍事知識、造船や船舶に関する知識を学んだ
帰国後、幕府海軍軍艦頭並に任命される
榎本武揚と戊辰戦争
戊辰戦争では、幕府艦隊は大阪湾に停泊し薩摩藩海軍に勝利した
鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北し、慶喜が江戸へ引き揚げたので、榎本も江戸へ引き揚げた
江戸へ撤退後、榎本は新政府軍との主戦論を主張し、幕府海軍艦隊を引渡すことを要求され榎本は拒否
榎本は、抗戦派の旧幕臣とともに江戸を脱出し、奥羽・蝦夷を目指し、蝦夷箱館の五稜郭に入城した
榎本は、「蝦夷共和国」を樹立し、選挙の実施により総裁となった
『箱館戦争』で新政府軍との戦いで、戦費の枯渇等で敗戦し、榎本は降伏した
榎本武揚『箱館戦争』降伏
降伏状に添えて、オランダ留学で学んだ『万国海律全書』を蝦夷征討軍海陸軍総参謀黒田了介に送った
黒田は、榎本の非凡な才に感服し、各方面に説諭、熱心な助命嘆願活動により榎本は、一命をとりとめた
榎本武揚閣僚の明治時代
榎本は、才能を買われて新政府に登用され、北海道鉱山検査巡回を命じられた
駐露特命全権公使となり、樺太・千島交換条約を締結した
内閣制度の成立後は能力を買われ、6つの内閣で逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣を歴任
子爵に叙され、大日本帝国憲法発布式では儀典掛長を務めた
享年73歳で死去、墓所は東京都文京区の吉祥寺