$ 0 0 今朝、録画でNHKBS『英雄たちの選択(信長は本当に天下を狙ったのか?)』を視聴 信長は、中世の権威を尊重し忠実でした仮説に基づいての番組の展開 信長が唱えた、天下布武は、畿内に限定されていたという仮説に基づいての番組の展開 仮説をたて、英雄の心理を分析し、構成してくれる番組『仮説が正誤か不明でが?』非常に面白いです 織田信長上洛(ネットより引用) 織田信長の仮説 信長は、足利幕府を非常に尊重する、保守的で堅実な実務家 根拠として、京都上洛(足利義昭を15代将軍につける)も足利義昭から要請を受けての上洛でした 信長の居城であった小牧山城・岐阜城は、将軍を迎える準備(近世風の石垣等)をしていた? 足利時代の『天下』の定義は、畿内に限定されていたので『天下布武』の言葉使用した? 足利時代の歴史的背景 足利幕府の8代以後の将軍は、常にパトロンの戦国大名を探し戦国大名へ上洛を依頼していた 将軍足利義昭より、上洛が織田信長にも依頼有り、一度は頓挫するが、2年後に再度上略し近畿地区平定 その後足利義昭と不仲になり、義昭を京都より追い出し、足利将軍の役職の意義を葬りました 織田信長が天下を統一できた要因 『官職』『官位』を欲しがらず、貰わず、武力で世の安定をはかりました 『兵農分離』策により、安定した武力が保持できました 『天下布武』『天下静謐』とは? 『天下静謐』⇒五畿内(京都)を安定を意味です 『天下布武』七徳の武(暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする)を兼ね揃えた者が天下を治める