江戸時代の文化人
柳沢吉保 ⇒譜代大名、大老格として幕政を主導
柳沢吉保(ネットより引用)
柳沢吉保履歴
甲斐源氏武田氏一門で、徳川家康の家臣団に組み込まれた武田遺臣の大名です
綱吉の寵愛で頻繁に加増され、禄高も1万2千石⇒7万2千石で武蔵国川越藩主
甲斐国甲府城と駿河国内に所領を与えられ、15万石の大名となる
綱吉が薨去し、代わって新将軍家宣とその儒者新井白石が権勢を握る
自ら幕府の役職を辞し、長男に柳沢家の家督を譲って隠居(六義園)
墓所は、山梨県の乾徳山恵林寺(武田信玄の墓の隣)にある
人物・逸話
吉保は和歌に親しみ、数々の詩歌を残してる
黄檗宗に帰依し悦峰道章を招き、甲斐に永慶寺を創建している
『忠臣蔵』の映像作品では、事件の黒幕・悪役として描かれることが多い
川越藩主時代には三富新田の開発などを行い、行政面での業績は評価されている
吉保は、綱吉の文治政治に恭順するために儒者を多く召し抱えた
吉保の有名な言葉に「泰平の世の中で、出世をするのは、金と女を使うに限る」
『楽只堂年録』は、柳沢吉保の公用日記です
柳沢吉保 ⇒譜代大名、大老格として幕政を主導
柳沢吉保(ネットより引用)
柳沢吉保履歴
甲斐源氏武田氏一門で、徳川家康の家臣団に組み込まれた武田遺臣の大名です
綱吉の寵愛で頻繁に加増され、禄高も1万2千石⇒7万2千石で武蔵国川越藩主
甲斐国甲府城と駿河国内に所領を与えられ、15万石の大名となる
綱吉が薨去し、代わって新将軍家宣とその儒者新井白石が権勢を握る
自ら幕府の役職を辞し、長男に柳沢家の家督を譲って隠居(六義園)
墓所は、山梨県の乾徳山恵林寺(武田信玄の墓の隣)にある
人物・逸話
吉保は和歌に親しみ、数々の詩歌を残してる
黄檗宗に帰依し悦峰道章を招き、甲斐に永慶寺を創建している
『忠臣蔵』の映像作品では、事件の黒幕・悪役として描かれることが多い
川越藩主時代には三富新田の開発などを行い、行政面での業績は評価されている
吉保は、綱吉の文治政治に恭順するために儒者を多く召し抱えた
吉保の有名な言葉に「泰平の世の中で、出世をするのは、金と女を使うに限る」
『楽只堂年録』は、柳沢吉保の公用日記です