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江戸の幕閣(保科正之)

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江戸時代の文化人

保科正之 ⇒大名、信濃高遠藩主、陸奥会津藩藩主、将軍徳川家光の異母弟












保科正之(ネットより引用)

保科正之生涯
将軍徳川秀忠の四男(庶子)
庶子の出産は、江戸城内で行われず、出産は武田信玄の次女である見性院で生まれた
見性院の縁で、信濃高遠藩主保科正光が預かり、正光の子として養育される
長兄の家光が正之という弟の存在を知ったのは、家光が成人してからです
保科正光の跡を継ぎ高遠藩藩主、その後会津藩主
正之は、養育してくれた保科家への恩義を忘れず、生涯保科姓を通しました
第3代保科正容になって、松平姓と葵の紋が使用され親藩となる

保科正之幕政
家光の死後、4代将軍家綱の補佐役として文治政治を推し進めた
養子の禁を緩和し、各藩の絶家を減らし、先君への殉死の禁止を制度とした
玉川上水を開削し江戸市民の飲用水の安定供給に貢献した
蓄財を背景に、福祉政策・災害救済対策・都市整備などを実施した

保科正之と朱子学・神道
朱子学に基づく政治を行い、身分制度の固定化を確立し幕藩体制の維持強化に努めた
儒学者の山鹿素行は朱子学を批判したために赤穂藩に配流された

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